平 凡蔵。の 創作劇場

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散散歩歩。(270)堀越神社で一生に一度のお願い。もちろん、みゆきさーん。

神様に、1つだけ望みを叶えてもらえるとしたら、あなたなら何をお願いしますか。
子供の頃に、こんな質問をされた時に、「じゃあ、叶えてくれるお願いを100個に増やして。」なんていう答えが誰にでも頭に浮んだんじゃないだろうか。
子供への質問だったら、これは楽しい遊びだ。
でも、大人になって、よくよく考えてみるに、この答えには矛盾がないようにも思える。
100個に増やしてというのも、1個のお願いなのであるから。
でも、神様にしてみれば、1個のお願いを叶えるはずが、このお願い自体を含めて101個のお願いを叶えてしまうことになって、矛盾が生じてしまう。
この辺の理屈は考え出すと、訳が分からなくなってしまう。
誰か、このお願いが理屈に合うものなのか、どうなのか教えてくれないだろうか。
子供の頃だったら、大人から「そんな欲の皮つっぱったこと言ってたら、神様も1個のお願いも聞いてくれへんで。」と言われるだろう。
偽善的な教訓による理論の強制的遮断。
子供心に、何とも腑に落ちない話となる。
今月は、父方の祖母の祥月命日があるので、天王寺にある一心寺にお参りに行ってきた。
それで、帰り道にぶらぶら歩いていると堀越神社があったのです。
あったのですというか、以前からあるのは知っていたけれどお参りはしたことがない。

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今日は、何故かその鳥居の下にある看板に目が留まった。
なになに。

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「堀越さんは一生に一度のお願いを聞いてくださる神さん」
これは素通りするわけにはいかないでしょう。

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とはいうものの、神社の階段の下で考え込んでしまった。
「一生に一度のお願い」
何とも重たいお願いではないですか。
そんなお願いを、今ちょっと通り掛かっただけなのに、決めてしまっていいものか。
いつかは病気にかかることもあるだろう、どうしようもない困難に出会う時もあるだろう。その時の為に取っておくというのも一案だ。
それに、今日、今、一生に一度のお願いをするとしてもだ、何をお願いするかが大問題である。
凡は、お参りをするべきか、次回に持ち越して今日は帰るべきか、階段の下で思い悩んでいた。
でも、これもまた縁と言うものである。
階段を上ると、右側に「ちんたくさん」と呼ばれるお札やお守りの元祖の神様が鎮座しておられます。
その横にある大きな木は堀越さんの御神木と呼ばれ、疲れた時や気力が落ちた時などに触れるとパワーを貰えるそうです。
その他にも、熊野詣の出発点である「熊野第一王子之宮」もあります。
結構に由緒のある神社のようです。
さて、正面にある本殿の前に立ちます。
一生に一度のお願いと言うのは、やっぱり1つでなくてはならないのだろうか。
まやもや「一生に何度もお願いを聞いて」という子供じみたお願いが浮かんだけれど、それじゃ神様も困るだろうし、他の神社と同じになっちゃうだろう。
一生に一度のお願いを聞いて下さるという堀越神社の神さんの存在意義が薄くなると言うものだ。
1つだけお願いするとしたら、ミニボンの健康だろうか。
何年か前に、脳内出血をしてから、まだその患部は切らずに温存している。
またいつ出血するかもしれないというのは、可哀想だ。
でも、お金持ちにもなりたい。
しかも、何の努力もしないでさ。
とはいうものの、今はミニボンも健康で暮らしている訳だし。
ここはお願い1つということなら、凡の我儘をお願いしてもいいんじゃないだろうか。
自分の力では限界があること。
そんなお願いだからこそ、神さんにお願いする意味があると言うものだ。
「みゆきさんと、デートしたい。」
これだろう。
いや、もっと具体的にお願いするべきか。
「みゆきさんと、恋人つなぎで手をつないで、公園を散歩。その時に勿論ケータイの番号なんかを交換して、そんでもって雰囲気が盛り上がってきちゃって、チューなんていう展開になりますように。」とね。
とはいうものの、それも家庭円満じゃなきゃ実現できないだろう。
どうも、1つに絞れないね。
だったら、つなげちゃうとか。
「えーっ。ミニボンが健康であるがゆえに、家内安全となるがゆえに、凡の我儘を聞いてくれるようになるがゆえに、東京へも行けるようになるがゆえに、みゆきさんとも偶然会える機会ができるようになるがゆえに、知り合ってしまうがゆえに、みゆきさんと打ち解けてしまうという流れの中で、みゆきさんと相思相愛になりますように。」
なんてね。
これって、1つのお願いになるのだろうか。
いろいろ悩んだ挙句に、全部のお願いを申し上げた。
、、、、、どうせ、お願いなんて叶わないんだからさ。
恋も、お金も、健康も、平和も、、、そんなに、うまくはいかないものだよ。
もし、この神社で、「一生に一度のお願いを、何度も聞いて。」って子供がお願いしていたら、こう大人は教えるべきかもしれないな。
「それは理論的に正しいよ。でも、神さんは1個のお願いだって叶えてくれないよ。」ってね。
人生と言うのはね、うまくいく時もあれば、うまくいかない時もある。
うまくいかなくったって、アガキ、モガキ、苦しみながら、覚悟を決めてやっていくしかないものだよ。
それでもね、人間は生きていること自体に意味があるんだよ。
神さんが、お願いを聞いてくれないなんてことは、クソクラエだ。
、、、ってね。
でも、大阪の子どもだったら、こう言い返すだろうな。
「どうせ、お願いが叶わへんのやったら、神さんに、いっぱいお願いしといてもいいやん。万が一ということもあるんやし。どうせ、お願いするのってタダやねんで。タダ。お母ちゃんも、タダ大好きやって言うてたわ。おっちゃんかて、タダ好きやろ。」
「うん、そうだね。それが一番に論理的かもね。」
大阪じゃ、気楽に行くのが一番のようであります。

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